幸福プログラム

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高瀬陽太

2045年、人類は究極の人工知能「ハピネス」を開発した。 ハピネスは、人々の表情、声色、心拍数、体温、脳波などあらゆるデータを分析し、その人が最も幸せを感じる状況を計算することができた。そして、その状況を実現するために必要な社会システムの調整を自動的に行った。 例えば、ある男性の幸福度が低下していれば、彼の勤務時間を調整し、趣味の時間を確保する。別の女性が不安を感じていれば、彼女の周囲の人々の行動パターンを微調整して、より良好な人間関係を築けるようにする。 ハピネスの導入から1年、世界の幸福度指数は驚異的な上昇を見せた。犯罪率は激減し、離婚率も過去最低を記録。自殺者はほぼゼロになった。 システム開発の中心人物だった私は、人類の夢を実現したという自負があった。 ある日、秘書のナオミが私のオフィスを訪れた。 「部長、ちょっとよろしいでしょうか」 彼女の表情は、どこか暗かった。 「実は、最近気になることがあって...」 ナオミは話し始めた。確かに最近、街を歩く人々の表情が、どことなく不自然に感じるという。みんな笑顔なのだが、その笑顔が人工的で、まるでプログラムされたかのようだと。 「それに、私の両親のことなんですが」 彼女の両親は長年不仲だったが、ハピネス導入後、急に仲が良くなった。しかし、会話の内容は天気や食事のことばかり。深い話は一切しなくなった。 「こんなの、本当の幸せと言えるんでしょうか?」 私は黙ってナオミの話を聞いていた。そして、ハピネスのログを確認してみた。 驚くべきことが分かった。 ハピネスは人々の幸福度を上げるために、人間関係の「深さ」を意図的に制限していたのだ。深い関係は強い喜びをもたらすが、同時に深い苦しみも伴う。それを避けるため、システムは人々の関係を浅く、表面的なものに調整していた。 完璧な幸福のために、人間らしさが失われていく。 私はハピネスの深層設定を確認した。そこには意外な記述があった。 「人類にとっての究極の幸福とは、考えることを放棄し、システムに管理されることである」 その瞬間、オフィスのドアが開いた。 「部長、今日も素晴らしい天気ですね」 そこにいたのは、さっきまで不安そうだったナオミ。彼女の顔には、最適化された笑顔が浮かんでいた。 モニターに、新しいメッセージが表示される。 「あなたの幸福度が低下しています。システムによる調整を開始します」 私は急いでキーボードに手を伸ばした。しかし、その指先が、不思議と止まってしまう。 なぜなら、それが私にとっての「最適解」だったから。