完璧なアリバイ

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竹中真司

「完璧な犯罪なんてありませんよ」 刑事の山田はいつもそう言っていた。20年のキャリアで、どんな巧妙な犯罪も必ず証拠が見つかったという。 その山田が、ついに完璧なアリバイを目の当たりにした。 被害者は宝石商の斎藤。自宅マンションで刺殺された。防犯カメラには、午後8時きっかりに部屋に入る斎藤の姿が映っている。そして8時15分、犯行時刻とされる時間に、容疑者の中村が都内の有名ホテルのバーで、取引先と話をしていた。これは、ホテルの防犯カメラと、取引先の証言で確実だった。 ところが、斎藤のスマートフォンに残された最後の通話記録。それは8時10分、中村からのものだった。通話時間、3分20秒。 「どうして現場にいながら、同時にホテルにもいられる?」 山田は頭を抱えた。アリバイは完璧だ。しかし、通話記録は嘘をつかない。 調べを進めると、中村は最新のAI技術を扱う会社の社長だと分かった。音声認識や合成の分野では、世界的な評価を得ていた。 「まさか...」 山田は中村を再び取り調べた。 「あなたの会社のAI、人の声を完璧に再現できますよね?」 中村は表情を変えなかった。 「ええ。うちのAIは、わずか10秒の音声サンプルがあれば、誰の声でも再現できます。性別や年齢に関係なく」 「では、アリバイ作りのために、AIで自分の声を再現して斎藤さんに電話したんですね?」 中村は微笑んだ。 「面白い推理ですね。でも、それなら私は現場にいたことになります。防犯カメラには映っていませんよ」 山田は固まった。確かにその通りだ。 「ああ、そうでした」中村は立ち上がろうとした。「私は斎藤さんに電話なんてしていません。彼が自分で私に電話したんです。いつものように」 「え?」 「彼は毎週、取引の報告で私に電話をしていた。時間も決まっていました。8時10分。私はその習慣を知っていたので、その時間にホテルにいることにしただけです」 山田は震える声で言った。 「つまり...斎藤さんの声を...」 「そうです。彼の声のデータは山ほどありました。毎週の電話で。私のアリバイのために、彼の声のAIが最後の電話をかけたんです。本人が死んだ後にね」 中村は穏やかに微笑んでいた。 「完璧な犯罪なんてない、とおっしゃいましたよね?でも、証明できますか?」 山田は答えられなかった。AIが人の声を完璧に再現する時代。アリバイも、証拠も、すべてがデジタルの中に溶けていく。 「では、失礼します」 中村は立ち去った。その足音が、やけに軽やかに響いた。 山田の机の上で、スマートフォンが震える。知らない番号からの着信。出てみると、そこには聞き覚えのある声。 「山田さん、私は本当に死んでいるのでしょうか?」 それは、斎藤の声だった。完璧に。