窓際の置き手紙

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竹中真司

私は、週に一度だけ開く古本屋で見つけた一枚の手紙に引き寄せられるように足を止めた。 手紙は店の奥にある窓際の本棚に置かれていた。文庫本の間に挟まれていたそれは、明らかに本ではなく、薄い青の便箋に丁寧な文字で書かれた手紙だった。宛名も消印もない。ただ、日付だけが右上に記されている。五年前の今日の日付だ。 「これ、販売されているものなんですか?」 私が尋ねると、白髪の店主は首を横に振った。 「いいえ、あれは売り物ではありません。毎年同じ日に、誰かが置いていくんです」 その言葉に、私は思わず耳を澄ませた。古本屋「時の栞」は水曜日の午後二時から六時までしか開かない。それ以外の時間は、この商店街で唯一のシャッター街と化す。週に一度しか開かない店に、誰かが毎年同じ日に手紙を置いていく。それも、五年間も。 「読んでも、よろしいですか?」 店主は静かに頷いた。私は手紙を手に取り、文面を追った。 『あなたの背中を見送ったあの日から、五年の月日が流れました。私はまだ、あの日のことを忘れられません。あなたは何も言わずに立ち去り、そしてその後、姿を消しました。でも、きっとあなたはこの手紙を読んでいるはずです。だって、ここは私たちの約束の場所だから』 手紙の文面は、そこで途切れていた。 「差出人の方は?」 「分かりません。ただ、開店時には必ずそこに置かれているんです。五年前から、一度も欠かさずに」 店主の言葉に、私は違和感を覚えた。 「開店時には、とおっしゃいましたか?」 「ええ」 「でも、開店前にシャッターは閉まっているはずです。どうやって中に…」 店主は穏やかな笑みを浮かべた。 「そうなんです。それが不思議で。シャッターは確実に閉めていますし、私以外に鍵を持っている人間はいない。でも、開店するとそこに手紙が置かれている」 その謎めいた状況に、私は興味を引かれた。取材で訪れた古書店で出会った一枚の手紙。これは、きっと何かの縁だろう。 「来週の水曜日、開店前からここで待たせていただけませんか?」 店主は少し考え込むような表情を見せたが、やがて頷いた。 一週間後。私は開店二時間前から店の前で待機していた。誰かが来るのを見張っていたが、人影はなかった。そして開店時間の十分前、店主が現れた。 「おはようございます」 店主と共に店内に入ると、窓際の本棚には既に手紙が置かれていた。今週の日付が記された、新しい手紙が。 「これは…」 私は思わず手紙を取り上げた。そこには、こう書かれていた。 『もう、手紙を書くのは今日で最後にします。五年間、毎週水曜日に手紙を置き続けました。あの日、あなたが約束を守れなかったように、私も約束を破ります。さようなら』 私は店主を振り返った。その表情が、suddenly変わっていることに気がついた。 「実は…」店主は静かに話し始めた。「この店の前の店主は、五年前に亡くなりました。私の父です」 「え?」 「父は毎週水曜日だけ開く古本屋を営んでいました。そして五年前のある日、常連客の一人と約束をしたそうです。その日の夜、父は心臓発作で急死しました。約束を果たせないまま」 私は息を呑んだ。 「その常連客の方は?」 「若い女性でした。父の死後、彼女の姿を見た人はいません。でも、手紙は毎週届けられ続けた」 店主はゆっくりと窓際に歩み寄り、手紙を手に取った。 「父は、彼女と何を約束したのでしょうか」 その答えは、永遠に謎のままかもしれない。ただ、五年という歳月をかけて伝えられ続けた想いは、確かにここに存在していた。 私は取材メモに最後の一文を書き加えた。 「人の心は、時として不思議な形で繋がっている」