最初に違和感を覚えたのは、改札を通る時だった。 私は取材で訪れた北陸の小さな駅で、おかしなことに気がついた。改札を通過する乗客たちの切符の行き先が、全て同じだったのだ。 「松崎さん、これは」駅員の青年が私に声をかけてきた。「昨日から、こんな感じなんです」 青年の手元には、使用済みの切符の束があった。宛先は全て同じ。午後三時発、終点の白川駅行きだ。 「白川駅って、廃線になってから十年以上経つはずでは?」 私の言葉に、青年は困ったように頷いた。「はい。でも、自動券売機から、この切符が出てくるんです」 その時、モーツァルトの交響曲第40番が流れ始めた。駅の放送で使われる曲としては、少し重すぎる選曲だ。 「この曲、いつから?」 「えっ?音楽は流れていませんが」 私は背筋が凍るのを感じた。確かに、今も耳に残るモーツァルトの旋律。しかし、青年には聞こえていないという。 調査を始めて三日目。私は白川駅行きの切符を手に入れた乗客の一人、村井洋子さん(67)に話を聞いていた。 「主人が待っているんです。白川駅で」 「旦那様は?」 「ええ、十年前に亡くなりました。白川駅の駅長でした」 話を聞けば聞くほど、謎は深まるばかり。白川駅行きの切符を買った人々は、皆、十年以上前に亡くなった人との約束を口にした。 そして四日目の午後三時。 私は自動券売機の前に立っていた。画面には確かに「白川駅」の文字。そして、またあのモーツァルトが聞こえ始めた。 切符を買おうとした瞬間、誰かが私の肩に手を置いた。 「松崎君」 その声に振り向く。そこには、十五年前に他界した恩師の姿があった。 「締切、守ってるかい?」 恩師は優しく微笑んだ。元編集者だった彼は、いつも私の締切を気にかけてくれた人だった。 「ああ、もちろんです」 私は答えながら、自動券売機のボタンに手をかけた。しかし、押すことはなかった。 取材を通じて分かったことがある。人は皆、未完の約束を持っている。そして時に、その約束を果たすチャンスが、思いがけない形でやってくる。 だが、その約束を果たすべきかどうかは、また別の問題だ。 「すみません。今日は取材だけにします」 私は恩師の幻影に向かってそう告げた。彼は少し寂しそうな、でも誇らしげな表情を浮かべ、静かに消えていった。 その日以降、白川駅行きの切符は二度と券売機に表示されることはなかった。モーツァルトの曲も、もう聞こえない。 調べてみると、あの四日間、白川駅行きの切符を買った人は誰一人として、その切符を使用していなかったことが分かった。皆、最後の一歩手前で引き返していたのだ。 未完の約束は、時として美しい終わり方をする。 今夜も私は、恩師との約束を守るように、締切に向かって原稿を書き進めている。モーツァルトの交響曲第40番をBGMに。