アンドロメダ・パラドックス

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高瀬陽太

「おかしいな」 私は研究所の食堂で昼食を取りながら、違和感を覚えていた。 毎週木曜日、この席に座って観察している光景。それは、同僚の佐々木さんが必ずカレーを食べるという事実だ。しかし今日、彼女はサラダを選んでいる。 「ねぇ、中村君」 隣で味噌汁をすすっていた研究助手の田中が話しかけてきた。 「佐々木さん、今日はカレー食べてないね」 「ああ、気になってたんだ」 私たちの研究所では、世界初の民間用量子予報システムの開発を進めている。未来の気象を量子確率で予測し、より正確な天気予報を実現するプロジェクトだ。 その日の午後、実験室で異変に気がついた。予報システムの量子ゆらぎが通常以上の数値を示している。まるで、誰かが未来を大きく書き換えようとしているかのように。 「中村さん、大変です!」 慌てて飛び込んできた佐々木さんが、タブレットを差し出す。 「量子予報システムが、異常な確率波形を検出しました。しかも、その発生源が...研究所の食堂からです」 画面には、午前中の食堂での出来事が記録されていた。佐々木さんがカレーを選ばなかった瞬間、量子場に小さな歪みが生じていたのだ。 「ちょっと、面白いかもしれない」 私は自宅から持ち込んでいた8bitパソコンを起動する。趣味で集めているレトロPCだが、単純な計算には最適だ。 「これは...まさか」 プログラムが示す結果に、私は目を見張った。 佐々木さんの「カレーを食べない」という選択は、実は一兆分の一の確率でしか起こりえない事象だった。その小さな変化が、未来の気象パターンに予想以上の影響を与えようとしている。 「蝶の羽ばたきが竜巻を引き起こす...ではなく、カレーを食べないことが気象を変える?」 田中が肩越しにモニターを覗き込む。 私たちは急いで、量子予報システムのシミュレーターを起動した。すると、まるでSF映画のような光景が広がる。 「これは凄い」 佐々木さんの声が弾む。「私がカレーを食べなかったことで、来週の天気が大きく変わろうとしています」 「そうなんです」と私は説明を始める。「佐々木さんのカレーは、実は研究所の量子場を安定させる重要な要素だったんです。毎週木曜日、同じ時間に同じメニューを選ぶという行動が、一種のアンカーポイントとして機能していた」 「えっ、私のカレー好きが世界を救っていたの?」 佐々木さんが目を丸くする。 「ただし」と田中が付け加える。「このままでは来週、研究所上空に未曾有の積乱雲が発生する可能性があります」 私は古い映画を思い出していた。80年代のSF作品には、こんな展開があったような... 「解決策はシンプルです」 私はにっこりと笑う。「佐々木さん、今からカレーを食べに行きませんか?」 「えっ、でも午後からの実験が...」 「実験よりも大事です。世界の天気があなたのカレーにかかっているんですから」 結局、その日の午後、私たちは全員で食堂に戻った。佐々木さんが特大カレーを完食した瞬間、量子予報システムの警告音が止まる。 「これで世界は救われましたね」 田中が冗談めかして言う。 モニター画面では、来週の天気予報が穏やかな晴れマークに戻っていた。誰も信じないだろうが、この晴天は佐々木さんのカレーが導いたものなのだ。 私は自分のレトロPCに向かい、この出来事を記録し始めた。きっと未来の誰かが、この量子カレーパラドックスの謎を解明してくれるはずだ。 「あ、そうだ」佐々木さんが立ち上がる。「中村さんの分も頼んできますね。カレー」 私は思わず笑みがこぼれた。研究者の直感だが、これは間違いなく、正しい未来への選択だった。