幸せな終末論

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M.Thompson

深夜2時、いつものように黒い悪魔(ブラックコーヒー)を傍らに置きながら、私は今日見た光景を手帳に書き記していた。 「世界が終わるまであと3日」 そんな看板を掲げて立っている男がいた。場所は新宿駅西口。スーツ姿のサラリーマンたちが、それを見て失笑を漏らしている。ああ、またか。私も最初はそう思った。 でも、その男の横に立っていた少女の存在が、どうしても気になって仕方がなかった。年の頃は7歳くらいだろうか。「パパ、まだ終わらないの?」と、時々男に尋ねる。男は優しく微笑んで「もう少しだけ待っててね」と答えるのだ。 私は路上観察が趣味だ。人々の何気ない仕草や会話の中に、人生最大の笑いのタネが隠れていると信じている。だから、その日も夜の11時まで二人を観察し続けた。 驚いたことに、少女は一度も不機嫌な表情を見せなかった。むしろ、通り過ぎる人々に向かって「世界が終わるの、楽しみでしょう?」と明るく話しかけている。もちろん、誰も真面目に取り合わない。 翌日、私は再び二人を見つけた。看板の文字が「あと2日」に変わっていた。少女は前日と同じように明るく、パパのそばで踊るように動き回っている。 「ねえパパ、世界が終わったら、ママに会えるの?」 その言葉を聞いた瞬間、私の中で何かが凍りついた。 三日目。「あと1日」 私は仕事を早退して西口に向かった。二人は相変わらずそこにいた。でも、少女の声が少し弱々しくなっている気がした。 「パパ、本当に明日?」 「ああ、約束したよね」 「うん...でも、ちょっと怖いな」 「大丈夫、パパとママが守ってあげる」 その夜、私は家に帰れなかった。二人の姿を見続けていたかった。深夜0時を回った頃、男は少女を抱き上げ、静かに歩き始めた。私は少し距離を置いて後をつけた。 彼らが向かった先は病院だった。救急外来に入っていく二人の後ろ姿を、私は見送ることしかできなかった。 次の日の夕刊に小さな記事が載った。 「難病の少女、父親と共に旅立つ。治療の甲斐なく、末期の症状悪化」 記事によると、少女の母親は3年前に同じ病気で亡くなっていたという。 私は路上で見かけた看板の文字を思い出していた。 「世界が終わるまであと3日」 その予言は、少女にとっては正確だった。そして、それは恐怖の予告ではなく、愛する人との再会までのカウントダウンだったのだ。 今夜も私は深夜のデスクで、ブラックコーヒーを飲みながら、この物語を書き記している。窓の外では、新しい世界の終わりを予告する誰かが、きっと立っているに違いない。でも今度は、その意味を簡単に笑い飛ばすことはできないだろう。 そういえば、あの少女は最後まで笑顔を絶やさなかった。この世界の終わりが、彼女にとっては新しい始まりだったからかもしれない。何とも皮肉な、でも不思議と温かい終末論だ。