献花

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葉月真夜子

古い生け花の教本を見つけたのは、骨董市を巡っていた時だった。 明治期の草月流の秘伝書。一般には公開されていない特殊な生け方が記されているという。表紙には「死者への献花」と墨書きされていた。 私は生け花の免状を持っているが、こんな技法は聞いたことがない。値段は驚くほど安かった。店主は目を合わせようとしなかった。 家に持ち帰り、書斎で読み進めると、通常とは異なる花材の扱い方が記されていた。花を生けるのではなく、枯らしていく技法。そして、その過程で死者の思いを込めていくのだという。 試しに、書かれた通りに花を生けてみた。白い菊を、少し歪な角度で。茎を特殊な角度で折り、水には指定された混合物を加える。 「これで、死者の思いが宿る」 本には、そう記されていた。 その夜から、家の空気が変わり始めた。廊下を歩く足音。障子の向こうの人影。そして、花から漂う甘い腐臭。 調べてみると、この技法には言い伝えがあった。明治時代、ある生け花師が、死んだ娘への思いを花に込めようとしたという。その試みは成功したが、娘の魂は花を通じて現世に執着し、最後には師をも冥界に誘ったという。 花は日に日に変化していった。枯れていくはずが、むしろ艶やかさを増していく。深夜、花に近づくと、かすかな囁きが聞こえる。 「もっと、生けて」 私は他の花も生け始めた。薔薇、百合、菊。すべて本に記された方法で。花が増えるたびに、囁きは大きくなっていった。 「もっと、もっと」 気がつくと、家中が花で埋め尽くされていた。腐臭と甘い香りが入り混じる。障子の向こうの人影は、はっきりとした形を持ち始めた。 ある夜、書斎で原稿を書いていると、背後に気配を感じた。振り向くと、花々の間に、無数の人影が立っていた。着物姿の女性、学生服の少年、様々な時代の人々が。 「私たちの物語を、書いて」 今、私は彼らの物語を書き続けている。花は枯れることなく、部屋中に咲き誇っている。そして私も、じっとりと湿った空気の中で、少しずつ色褪せていくような気がする。 もうすぐ夜が明ける。今日も新しい花を生けなければ。彼らの物語を残すために。 私の指先は、もう花のように白く、蝋のように冷たい。