幸福の配達人

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M.Thompson

私は幸福を配達する仕事をしている。 もちろん、比喩的な意味ではない。文字通り、段ボール箱に詰められた幸福を、指定された住所に届けるのが私の仕事だ。 今日の配達リストには、三件の配送が入っている。 最初の配達先は、郊外の一軒家。注文内容は「父との和解パッケージ」。開封すると、20年前の父との思い出が蘇り、自然と許せる気持ちになれるという商品だ。 「お届け物です」 インターホン越しの会話で、彼は震える声で応答した。父の葬式の案内状が届いた翌日の注文だったらしい。 二件目は都心のタワーマンション。「昇進祝いパッケージ」だ。実際の昇進は見送られたが、この箱を開ければ、昇進した時と同じ喜びを感じられる。顧客の多くは、これで満足するという。 「ご苦労様です」 受け取った女性は、明日も元の席で同じ仕事をする。ただし、幸せな気持ちで。 最後の配達は少し特殊だった。「人生やり直しパッケージ」。注文主は高齢の男性。開封すると、人生の重要な選択肢で、違う選択をした時の記憶が植え付けられる。 「ずっと待っていました」 男性は手を震わせながら箱を受け取った。明日には、彼は別の人生を生きた記憶と共に目覚めるだろう。 私の会社は、幸福の品質管理に厳しい。納品前に必ず検品を行い、適切な量の幸福が封入されているか確認する。不良品は即座に廃棄処分。偽りの幸福は、時として本物以上に危険だからだ。 ある時、好奇心に負けて、廃棄予定の箱を開けてしまったことがある。中身は「永遠の愛パッケージ」。開封すると、運命の相手との出会いから、幸せな結婚生活までをリアルに体験できる商品だ。 その日から、私の人生は変わった。毎日、存在しない妻との幸せな記憶と共に生きている。会社の規定違反だが、偽りと知りながら、この幸福に溺れることを選んだ。 今日も私は、幸福の配達を続ける。受け取る人々は皆、心から喜んでくれる。箱の中身が偽物だと知っていても。 ふと考える。私たちは、いつから幸福をパッケージ化して売買する世界に生きているのだろう。そして、本物の幸福とは何なのだろう。 我に返ると、新しい配達指示が入っていた。 「自問自答パッケージ」 配達先は、私の住所だった。差出人名には、存在しないはずの妻の名前が記されている。 今夜、帰宅後、この箱を開けるべきだろうか。 本物の不幸と、偽りの幸福。選択に迷う私に、スマートフォンが新しい配達予定を知らせ続けている。